町に住む

INTERVIEW 美しく生きる人たち

津谷勇作さん(北海道東川町出身)

おいしいお米を
この先も守っていく

「農作業をしていると景色にあまり目がいかないんですけど、やっぱりきれいですよね」。生まれてからずっと暮らしてきたこの地区が大好きで、就農を決意。忙しさを楽しみに変えてきました。現在は、農家の若手代表として「その先の東川の農業」を考える日々です。


東川町は道内きっての米どころ。津谷さんはそんな町で米農家の3代目となる決意をしました。「『水稲』と書くくらい稲は水をすごく使う作物なんです。東川は水がきれいなので、イメージがとてもいいですし、旭岳の雪解け水を最初に使える立地。稲には冷たい水はあまりよくないのですが、それ以上にミネラルをたっぷり含んでいることがいいと聞いています。他地域の農家の人からは第一声で『東川はいいよね』と言われますよ」。
高校卒業後、別の仕事に就いた後に家業を継ぐことにしたのは「単純に稼ぎたいと思ったからなんです」と笑います。ほとんど農作業を手伝ったことがなく、何となく農業=スロウライフだと思っていたとか。23歳から本格的に農業に取り組み、こんなに忙しいとはと驚いたそう。しかし、それがやりがいへと変わっていきました。「僕、趣味があんまりなかったんですよ。それで農作業が趣味のような感じになってきて。『今日はゆっくりしよう』と思っていても頭の中では次はあれしよう、これしようって考えちゃうんです」

農業と地元地区を活性化し
「東川ブランド」を守っていきたい

「この地区が大好き」ということも農家を継ごうと思った理由のひとつでした。元々「農家」のイメージとして「地域をまとめていく中心的な存在」というものがあったそう。尊敬していた地域の方が亡くなった1年ほど前からは、「自分にそのバトンがまわってきたのかな」と思っているそう。「農業を通じて地元に根を張る。そしてきちんと人間関係を築きながら、この地域そのものを活性化させたいという目標ができました」。自身は現在、JAひがしかわの青年部部員でもあり、他部員とともに稲の生育に関する研究を行うなど、未来の東川農業を見据えた活動を行っています。「農家を継ぐ若い人もいますが、それでも将来的には農業者の手が足りなくなることがわかっています。そんな中で、東川ブランドを守るにはどうすればいいのか。品質をどう保つのか。おいしいお米をこの先も守っていく、というのは強く思っています」


 

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