町に住む

INTERVIEW 美しく生きる人たち

庄内孝治さん(旭川市出身)
移住して76年

毎日山に来て薪作ったり
魚に餌やったり。
それが楽しいの

「雪が降るまで川に入って遊んでいた」というほど子どものころから魚好き。魚を飼うために手に入れた山は、廃材を使って「小屋」を作りはじめたことで、さらに大きな夢を叶える場所に。自身の夢を詰め込んだ空間を東川の山の中に自身の手で作り上げました。


東川町の中心部から車を走らせること約20分。湧き水の出る山を背負う木造の建物が見えてきます。どっしりとした構えですが、窓や戸のサイズはよく見るとそろっていません。「ここにある物はぜーんぶもらい物なの!」。廃材を利用し庄内さんが6年かけて自力で作り上げた建物です。食器や20組以上ある布団もすべて集まってきたもので、屋内にはニジマスの泳ぐ池があり、お風呂は露天と内湯がひとつずつ。直径1.1m、高さ2mの巨大な薪ストーブがあるため真冬でも室内が10度以下になることはありません。

家の中の物すべてに物語あり
不用なものを再生し夢の空間に

旭川で生まれた庄内さんは6歳で東川に移ってきて以来、ずっと町内で暮らしてきました。子どもの頃から魚好きで、いずれは湧き水の出る山を手に入れて、そこで魚を飼いたいと思っていたそう。冗談でそんな話を周囲にしていたところ、57歳の時に1万2000坪のこの山を譲ってもらえることに。58歳で町の職員を退職後、ササを払って山を整地することから始めました。そのうち「山に来てゴソゴソしていたら古い納屋をいらないかって言われて」。最初は、その納屋を壊して廃材を街中にある自宅の薪ストーブの薪として使うつもりでした。が、その後さらに納屋3軒が手に入りそれぞれ状態がよかったことから、建材を再利用した「小屋」を山に建てることにしたそう。若い頃に柾(まさ)屋根をふく仕事をしていた経験を生かし、知り合いの大工さんにも協力してもらい建てはじめたところ、さらに廃材が集まりはじめ、結果として63坪の立派な建物になりました。「この戸は公営住宅の」「この食器は同級生の奥さんから」と家にあるものすべてに物語があります。完成した「小屋」では同級生たちと焼肉をしたり演奏会を開いたりと楽しんできました。
今では大人数で集まる機会は減りましたが、庄内さんは毎日街中の自宅からここに通いニジマスにえさをやったり、薪を割ったりという作業を楽しんでいます。実はまだ1/3しかここでやりたいことを実現できていないそう。「もっと行者ニンニクも植えたいし…」。東川の山にひっそりと存在する桃源郷(とうげんきょう)は進化を続けています。


 

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