東川らしさ

 

#07 東川町国際写真フェスティバル


  
 

1985年から40回、「文化」で一番乗り

  

 

「写真甲子園」とならび、「写真の町」東川町の象徴的な取組のひとつとなっている「東川町国際写真フェスティバル」。1985年、「写真の町宣言」と同じ年に生まれたこのフェスティバルは、2024年に40回目を迎えます。
40年もの長い歴史のなかでは、「写真」というと特別な知識が無いと関わることのできない分野だという認識や、表現やアートを自由に楽しむというよりもカメラ機器が好きなマニアックな人たちの集まりなのではないかといった固定観念から、当初は町民の理解が得られない部分もあったりと、もちろん様々な紆余曲折がありました。しかし、「東川らしいまちづくり」として「町民のみなさんと一緒になって」続けてきた結果、東川町国際写真フェスティバルは2024年、40回を数えるまでに発展してきました。このフェスティバルの創設当時は他の自治体ではほとんど見られなかった「文化によるまちづくり」で、「一番乗りしたい」という想いが支えてきたのかもしれません。 

  

東川町が得てきたもの

 

東川町国際写真フェスティバルには創設当初から、「海外作家賞」がありました。海外から写真家やそのファンの方々が来町されると、町民は公式イベントでの触れ合いだけではなく、たとえばBBQを一緒にやったりするなどして交流を深めています。誰でも家の中に招き入れるほど、もともと町にあった「ウェルカム精神」が、東川町国際写真フェスティバルによってよりグローバル化されていったと言えます。実際、来町された海外の作家たちが「東川町は町民の皆さんがアットホームに接してくれるし、のびのびしているんだよ」などと、国内外のあちらこちらで言ってくれているというのを耳にすることも。
また、この東川町国際写真フェスティバルをはじめとして様々な「写真の町」の取組が続けられているためか、もとからの町民はもちろん、毎年増加している移住者も東川町の取組を理解したうえで移住し、新旧関係なく多くの町民が企画や運営に積極的に関わっているという事実も、東川町の「ウェルカム精神」が今も成長し続けている証しでもあります。
 

 
   

 

大切なのは、町民との近い距離感

 

そして、東川町国際写真フェスティバルがこれほどまでに長い間続けられているのは、町職員のパッションはもちろんのこと、「町民に近い距離で、町民と一緒に」ということを大切にしてきたからに他なりません。
役職や立場を超えて一個人として自由な意見を言い合える環境、言い換えれば、住んでいる人のやりたいことが実現していく「開かれた感じ」が空気感として醸成されている町。
町民と近い距離で取組を続けることが、「東川らしさ」のひとつなのかもしれません。   

  

増やすより、丁寧に

 2024年に40回目を迎える東川町国際写真フェスティバルですが、単に公式イベントの数を増やしたり規模を大きくしたりということは考えられていません。しかし、その一方で、たとえば町民が町民をインタビューして町民が冊子を製作する「町民がメイン」の企画など、40回目という大きな節目を契機に、町民自身の目線で「『写真の町』を紐解いていく」取組が進行しています。
町、町民、これまでの「常連さん」、さらには新しい「常連さん」とともに、丁寧に「質」を求め充実させることによって、東川町国際写真フェスティバルはこれからも続いていきます。

   

 
 

 

 
 

 

 
 
 

私自身が楽しみます

私は写真甲子園に出場したことをきっかけに東川町を知り、大学卒業後、町に移住してきました。写真甲子園は大会なのでルールが大事なのですが、東川町国際写真フェスティバルにルールはありません。お祭りです。だからこそ、私自身がこれまで町民の皆さんの温かさや熱さに触れ「人を感じて」楽しく暮らしてきたように、いろいろな人と関わり合いながら、「やっている側が楽しくないフォトフェスは楽しいわけがない!」という想いで、これからも東川町国際写真フェスティバルを楽しんでいきたいと思います。
(東川町写真の町課・吉里演子さん)

RELATED SITES